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厨設定

厨設定(ちゅうせってい)とは、若者向け現代文学で広く使われたことにより価値を落としてしまったキャラクター設定の事である。

概要

まず前提として、厨設定と呼ばれる設定自体は決して価値のないものではない。心無い若者には「統合性の無い無駄な設定」「自己満足」と批判されがちだが、実際には長い文学史の中で脈々と受け継がれてきた文化の結晶である。例えば「不死身の英雄」という設定は今では厨設定扱いだが、かつては「人間を超えた勇者を称える、人間賛歌のキーワード」として使用されていた。北欧神話のジークフリートはの愛によって手にした不死の力で活躍したし、日本の民話「日田の鬼太夫」は母親が砂鉄を食べ続けたため鋼の肉体を持って生まれてきた力士「小冠者」と主人公の鬼太夫が戦う勇壮な話になっている。物語を盛り上げるために不死の設定は有効であり、また「不死になった理由がちゃんとあるため、そこを遡って考えれば弱点がわかる」という謎解きにもなっており決して「無駄な盛り過ぎ」ではない。ジークフリートはが「アンタは勇者なんだから、敵に背を向けちゃダメ」と背中に愛を込めてくれなかったためそこが弱点になり、また小冠者は「砂鉄ばかりで飽きてしまうから」と母が一度だけ瓜を食べてしまったために額が柔らかいという弱点を抱えてしまった。更にそれは「常識を超えた能力を、知恵と閃きで覆す」という知性の大切さを説く意味もある。

ゼロ年代以降の作品では「無効化」「吸収」「封印」など「特殊能力を封じる特殊能力」が流行し、それもまた厨設定扱いされるようになった。しかし、ゼットンがウルトラマンのスペシウム光線を吸収したり天津飯がかめはめ波を無効化するのが「厨展開」でなかったように、封殺系能力もやはり本来は「切り札を封じ込めてしまう恐ろしい能力」として物語のスパイスだったのだ。

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光線吸収能力を使おうと待機するゼットン。

能力ではなく性格設定としては「昼行燈系」が厨設定にされがちである。これは「日頃は特に目立ったところはないし目立ちたがらないが、実は恐ろしく強い」というやつで、ファンタジー系や学園系のライトノベルによく見られる。しかしこれも、元をただせば時代劇での定番展開であり厨でも何でもない。例えば「たそがれ清兵衛」の主人公・井口清兵衛は昼間は上司に無能だの役立たずだの罵られ家でも嫁と姑に虐げられているが、実は居合の達人で「裏の仕事」では凄腕として暗躍している…という典型的な昼行燈だがここに「厨臭い」「陳腐」などのワードは似つかわしくない。

問題点

厨設定の何が問題か。それはあまりにも使い勝手が良さそうなために、例え書き手の中学生であっても脳のレベルが小学生程度でも乱用出来てしまうことである。バトル作品で安易に「無敵」「絶対不死」「万魔両断」「東西南北中央不敗」などと強そうな設定を大量に使ってしまうと、その後の展開でどうやってもそれを打ち崩せず「実は病気で余命幾許も無い」「日食の瞬間だけ能力が弱まる」「満月の間だけ不死性が有効」など苦しい言い訳を並べて話を動かさなければならなくなる。何故なら、万能のキャラクターが一人だけいても物語は進まないからである。どこかで勝利者側が負けて退場し、次のステージへと進めなければそこで話が終わってしまうのだ。

無効化や吸収も同様で、相手の攻撃手段を封じるのは有効ではあるがそれだけでは「どうやって打ち破るか」というカタルシスを求められない。結局「慢心で能力を解いた」「実は限界があった」などの後付設定をつけるしかない。そうなると更に話が泥縄化し手が付けられない素人文章へと堕していく。昼行燈系設定は「俺はまだ本気出してないだけ」と思い込むイタいオタクが「俺だって本気になれば!!」と歪んだ感情移入をする為に使われることが多くなってしまったのがその陳腐化の大きな要因だと思われる。これに関しては勘違いするオタクが悪い。本気で生きてもそうなんだよ、貴方は。

しかし何より悪いのは、「大仰な設定を使えば物語が崇高になる」と思い込む作家気取りの癖に頭の悪い中学生中二病な作家である。古典に目を向けずとも、厨設定(と呼ばれがちな設定)を多用しつつ名作を作った例は幾らでもある。大風呂敷を広げることなく、使いこなせる範囲で設定を組んでいくべきだろう。

脚注

関連項目


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Last-modified: 2018-04-29 (日) 10:51:56