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鈴木宗男

鈴木 宗男(すずき むねお)とは日本を代表するMCであり、第100代内閣総理大臣である。「ムネオハウス」という音楽ジャンルを産み出し、miyocoと共に人気度、影響力の高い人物である。ドーカツ(北海道活性化)のエキスパート。北海道新幹線が開通しても、ブルートレイン北斗星を残そうの会 初代会長。

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略歴

北海道出身。同郷の松山千春の影響を受けて音楽の道に入り、瞬く間にその才能を開花させた。

初期の音楽活動

当初はネオコン・ミュージックの始祖であるBLOODY ICHIROの秘蔵っ子として活躍をしていたが、 Ichiroが入滅してしまったため、その遺志を継ぐべく自主ライブ活動を行うようになる。 ごっくんとの死闘を繰り広げ、数年間は北海道でマイナー活動を続けたが、「北海道はでっかいどう」とは言っても宗男の音楽のスケールには小さすぎることがハッキリしたため、1983年に上京。衆議院本会場から全国へ向けてライブを行なうも、音楽の方向性が定まり切っていなかったことや、知名度の低さが影響して、その才能が世に知れ渡ることはなかった。

海外での活動

その後、宗男は国会での下積みを続けるとともに、国際的な活動を開始。ガーナ、ガボン、カメルーン、ギニア、 ケニア、コンゴ、ザンビア、ジンバブエ、象牙海岸共和国、ナイジェリア、ブルキナファソ、ブルンディ、 ボツワナ、モーリタニア、モザンビーク、ルワンダなどでライブパフォーマンスを成功させるとともに、ブラックミュージックの原点に触れたことで、その独自の音楽性により深みが加わることとなった。 このアフリカ全国ツアーの中で宗男によってその才能を発掘されたのが、ビッグ・ジョンことジョン・ムルアカである。

海外での評価の高まりは、日本での活動にも少しずつ影響を及ぼしていった。日本で最もヤバいと言われているライブハウス、外務Show内で宗男の評価が急騰し、宗男のライブ開催権を手土産に外交を進めようという「宗男ライブ外交論」が外務Show内を席巻。手始めにソ連のミュージックシーンへと宗男を送り込んだが、その影響は予想をはるかに上回るものであった。 独特のテンポで放たれる宗男のリリックは、ただでさえ真っ赤なソ連人民をさらに熱く燃えたぎらせ、彼らの激しいヘッドバンギングによってベルリンの壁は崩壊。ソビエト連邦は、ただただ宗男の前にひれ伏すしかなかった。

宗男のライブパフォーマンスによる世界最大の社会主義国家の崩壊は、国際社会を多いに混乱させ多くの貧困や難民を生み出してしまった。このことに心を痛めた宗男は「家はなくとも心にハウスを」の思想に基づいて、国後島にクラブハウス「ムネオハウス」を設立、恵まれないミュージシャンに食事とハウスの音楽精神を与えることで新しい才能を次々と世に送り出し、ムネオハウスは瞬く間にハウスミュージックの一大拠点となった。 これ以降、宗男はこのムネオハウスを活動の拠点として、より一層活発な音楽活動へと突き進んでいった。

第一次黄金期

2002年、宗男の音楽活動は一つのピークを迎える。ムネオハウスという音楽ジャンルの方向性を巡って国会内で激しいミュージック・トーナメント・バトルが行なわれ、MC TUJIKIYO、DEVA MAKKO、津島・イインチョ・雄二などの今まで眠っていた数々の有能なラッパー議員が次々とその才能を開花させていき、その余波はサンデープロジェクト、ニュースステーションといったJ-POP中心の 音楽バラエティ番組にも広がっていった。 国会ミュージックシーンの活性化に成功し、国会ライブの全国生放送という夢も実現した宗男は、音楽性と人気の高さを見抜いたチケンレーベルに懇願されジミンレーベルから貸し出される運びとなる。しかし、ここで宗男は新たな壁にぶつかることになる。

メジャーレーベルとの確執、苦闘

チケンレーベルは宗男に曲の吹込みと詩作をさせるために宗男を一年以上に渡りカンヅメ状態にした。 しかし、それは宗男に自分たちの都合がよいリリックを吹き込ませるために行ったことであり、音楽の質の向上にはなんら寄与しなかったと宗男は後に語っている。

「普通、一枚のレコード出す準備期間と言ったら長くとも四ヶ月位だ。奴らは俺にコマーシャルに走った退屈で凡庸極まりない、最低のリリックを吹き込ませようとした。“YATTANDARO””YATTEMASEN”が延々続く最低の曲だ。俺はファンを裏切りたくなかったし、何より俺自身が許さなかった。俺が思った以上に抵抗したため、カンヅメの期間が長引いたんだ。」

結局このレコードの発売は中止となり、宗男は騒動が切欠でネオコンミュージック時代からの親友SAFEGUARD REIKOを失ってしまうことになる。宗男は一刻も早くチケンレーベルから離れたかったが、レコードの発売契約を反故にしたことと、契約期間が切れていなかったことから裁判所ホールでのライブ活動を強要されることになる。

裁判所での音楽活動は、予想以上に困難なものとなった。 席数の少なさから宗男のライブを見ることができる観客がごく少数に限られること、さらに裁判所によって録音や撮影が行なえないため生中継もできないという制約は、宗男の「より多くの人に音楽の素晴らしさを伝えたい」という思いとうまく噛み合なかった。 さらに、宗男は全国ツアーを計画していたにもかかわらず、裁判所の理不尽な都合のために最大でも三箇所でしかコンサートを行えないことが分かり、宗男はチケンレーベルに大いに不満を募らせるようになる。 宗男の窮状を知ったジミンレーベルは宗男奪還作戦を計画。浪曲師野中広務の働きかけや、契約上でのミスを指摘といった活動により、宗男は元のレコード会社にやっと戻れることになったが、メジャーレーベルに対する不信感はぬぐい難いものとなっていた。

バッシング、そして挫折

国会は、日本最大、最高のライブハウスであり、その質を保つ目的で、定期的にアーティストとの契約を解約し、全国で新人・ベテラン入り混じったミュージック・バトルを繰り広げさせ、それに勝ち残ったもののみと契約する、通称「選挙」というシステムをとっている。 国会には、衆議院、参議院という2つのホールを持っており、宗男が長年所属していたのは衆議院である。 宗男は、2004年7月11日に開催された参議院選挙にエントリー、激しいミュージック・バトルを展開した。

宗男の参戦は、世間を大いに驚かせた。 しかし、このとき、ムネオハウスはもう終わったジャンルであると見られており、そのうえ、宗男の才能に嫉妬する一部のアーティストたちは、彼が裁判所で苦戦している間に、彼の存在を過去のものにしようとしていた。 そのために、多くのリスナーは、宗男の存在を忘れていたか、既に終わった人であると認識しており、そのうえ「ムネオハウスは日本の音楽のレベルを下げた」という意見が日本中をを席巻していた。 このような状況であったため、宗男のライブは常に空っぽか、いたとしても罵るために来た客のみ、という有様だった。 結局、宗男はこの選挙に敗退した。

インディーズレーベルの立ち上げ、再評価

この敗北により、人生最大の挫折を味わった宗男は、十分な休養をとりながら、このときには盟友となっていた松山千春とともにインディーズレーベル新党大地(またの名を新党ドーカツ:恫喝ではなく北海道の道活です)を結成、代表に就任した。 そして、2005年9月11日に行われた衆議院選挙にエントリーされ、ほかを圧倒するパフォーマンスを見せ付けて勝利、「ムネオハウスの復活」を掲げて国会へ乗り込んでいった。 しかし、インディーズレーベルは今まで所属していたメジャーレーベルとは勝手が違い、ライブ活動やレコードの発売の回数が限定的であり、またメジャーレーベルのインディーズレーベルに対する圧力は想像を絶するものがあった。 宗男はこうした鬱憤を晴らすべく、メジャー時代にお蔵入りにしていたリリックを音楽雑誌に掲載するように持ち掛ける。 この宗男の働きかけが認められ「OMUTSU PLAY」、「ARMAJIRO」、「STILLMAN KIYOI」といった外務show時代のスタッフをdisった内容が発表されることとなる。 この過激なリリックに世間は驚愕し、再びムネオハウスは脚光を浴びることになる。そして宗男に対する評価も復活しつつある。 2010年12月から刑務所で1年にわたって慰問を行う。

RASPUTIN SATOUとのコラボ

最近は中期に行われていたRASPUTIN SATOUとのコラボが音楽研究家に注目され、宗男も世間の声に答えるかのように、SATOUとのコラボを増やし、彼とラップを交互に行った詩集が多数出版されている。ちなみに、佐藤と宗男は、ことあるごとにお互いを褒め合っている気持ち悪い仲である。ていうか、二人は、ホテルに泊り込んでロシアの選挙の様子をウォッチするなどしていたので、日本の関係者の間では一時期ホモだと思われていた。

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将来有望な箱乗り後継者も現れた。ここが引き際であろう

人物

かつては政治家でもあったが、今では音楽活動に力を入れてる。 疑惑の総合商社を経営していた実業家でもあり、現在は北海道のドーカツ(道活)に心血を注いでいる。

北方領土を起点に活動していたため、ロシアからの人気も高い。特に、国後島に建てた有名なクラブ、日本人とロシア人の友好の家は、ムネオハウスを生んだ伝説のクラブで、後に国後を北のイビザといわれるほど有名になった。 終わった。

ディスコグラフィ

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ヌードになって御満悦の宗男氏。

シングル

アルバム

外部リンク

関連項目


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Last-modified: 2019-10-28 (月) 23:53:24