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すき家

すき家とは、日本牛丼チェーン店である。

当記事では運営主体であるゼンショーとそのグループ会社についても説明する。

概要

2014年7月時点で国内に1,984店舗を構える日本最大の牛丼チェーン(吉野家は国内1,200店舗、松屋は同970店舗)。またゼンショーホールディングス全体での売上高は2位の日本マクドナルドを大きく引き離し、外食産業における国内最大手となっている。

吉野家の社員だった小川賢太郎が1982年に事業を始め、全店直営方式で「24時間365日営業」を売り物に事業規模を急拡大。また2005年に同業者の「なか卯」を買収したほか、企業買収によってファミリーレストラン・回転寿司・宅配ピザなどの他業種にも積極的に進出し(いくつかは撤退済)、経営の多角化を進めている。

牛丼チェーン店としては郊外型店舗を主軸としている点が特徴で、テーブル席を設けるなどファミリー層の呼び込みにも力を入れている。また食材の安全性アピールに余念がなく、2004年のBSE問題以来長らくアメリカ牛肉を使用してこなかったが、2010年末から使用を再開している。他方で中国産食材の使用状況を取材された際に、吉野家松屋などが具体的に回答するのを尻目に「回答できない」の一点張りで押し通すという一幕も見られた。

各店舗ごとの従業員数を極限まで切り詰めて回しているため、「現代版蟹工船」と謳われるほど過酷な労働環境を従業員に強いる結果となっている。特に客数の少ない時間帯を従業員1人で乗り切らせる「ワンマンオペレーション」(ワンオペ)は従業員への負担が大きいのみならず強盗のリスクも大きく、たびたび問題点を指摘されていた。

2014年に手間のかかる新商品の導入と従業員の大量退職が重なり、一部店舗を緊急閉鎖。このことをきっかけとして劣悪な労働環境に注目が集まり、すき家やゼンショーはブラック企業として社会的な批判を浴びることになった。現在は労働環境の改善に取り組もうとしているものの、ブランドイメージの悪化は拭い去りがたく、また売り上げの減少により創業以来初の赤字を計上するなど、今後の経営には多くの困難が予想されている。

主なグループ一覧

牛丼チェーンとしての特徴

労働環境

以下の記述は「すき家」の労働環境改善に関する第三者委員会調査報告書(pdf)に基づく。

ちなみに飲食業界におけるブラック企業として双璧を為すワタミと異なり、労働組合「ZEAN」が存在している。ユニオン・ショップ制を採っているため全社員が加入しており、アルバイトも8割近くが加入している。ただZEANは労使協調型の従順な組合のようで、労使協議会で長時間労働解消への申し入れが行われたことはないという。

なおZEAN結成前に残業代不払いを巡って従業員が左派系労組に駆け込み、労使紛争・裁判闘争に発展したことがある。ゼンショー側は労使協議に一切応じず、当該従業員がご飯を勝手に食べたとして刑事告訴するなどあらゆる手段を用いて対抗したが、結局どの紛争もゼンショーの敗訴または敗訴的和解に終わった。

この一連の事件を評価され、ゼンショーは2012年ブラック企業大賞において「ありえないで賞」を受賞した。

従業員の声と役員の認識


まったく回っていない現場があり、過労死してもおかしくないようなこの労務環境が現実にあるなかで、世界から飢餓と貧困を撲滅するため、日本一を走り続けるため、世界一を目指すためと、新入社員の数もろくに確保できていない状況で店舗を拡大していくのはもはや大義ではなく驕りであると思う。

ゼンショー社員向け意識調査(2013年)への回答

意欲も低下、慢性的人員不足でおかしくなりそうです…会社を守っているのでたちのことも守ってください。

同上

第三者委員会委員
「(過重労働問題への対応として)営業時間を短縮するという話は?」
経営幹部A
「ない。考えたこともない。営業時間を短縮したからといって評価が下がるとか、地位が落ちるとか、そういう話ではない。守るべきものとして、24時間365日というのはあり、苦しいからやめるというのは一度も言ったことはない。絶対に閉めない、というのがあり、そこで労働基準監督署とか労働環境を考えたことはない」

「すき家」の労働環境改善に関する第三者委員会調査報告書より

委員
「部下の仕事に対する姿勢や考え方はどうか?自分と比べても」
経営幹部B
「レベルが低いと思う。エリア・マネージャーはもっと店を好きになってほしい。今きっと嫌いなのだと思う」

同上

委員
「ゼンショーホールディングス社取締役会で過労死リスクについて議論したことは?」
経営幹部C
「ない」

同上

創業者・小川賢太郎

すき家・ゼンショーの生みの親である小川賢太郎は1948年に石川県で生まれた。

都立新宿高校から東京大学に進学し、全共闘の左翼活動家として政治活動に明け暮れたのち中退。底辺からの社会主義革命を目指して港湾労働者(ただし比較的大きな荷役会社の正社員)となり、労働組合を率いて運動を続けていたが、ベトナム戦争終結を機に社会主義に見切りを付け、右派に転向した。

中小企業診断士の資格を得て1978年に吉野家に就職。店舗勤務を経てすぐに本部に回され、銀行との交渉を任されるようになった。1980年に吉野家が事実上倒産すると、大株主の新橋商事が立ち上げた外食企業に企画室長として引き抜かれたものの、次第に意思決定の遅さに不満を覚えるようになっていった。

そこで1982年6月に数人の部下を引き連れて独立、「外食産業世界一になり地上から飢餓と貧困をなくす」という壮大な目標を掲げ、弁当屋を開業した。これがゼンショーの始まりである。後により単純でチェーン展開しやすいとの理由で牛丼屋主体にシフト。この判断は当たり、小川は日本の外食産業のトップへと登り詰めた。

フォーブスによると、2014年時点で小川の保有資産は約546億円に上り、日本では長者番付の第48位にランクインしている。かつて社会主義革命による平等な社会の実現と労働者の救済を目指したが、労働者を収奪するブラック企業の経営者となり巨万の富を築いたという皮肉な物語として、しばしば語り草となっている。

なおブラック企業経営者の代表格としてしばしば名前を挙げられるワタミグループの創業者・渡邉美樹とは経歴上の共通点が多く、どちらも「ブルーカラー労働者(沖仲仕/トラックドライバー)を経て大手外食チェーンで働き(吉野家社員/つぼ八フランチャイズ店長)、その時のノウハウを元手に独立し、壮大な夢や理想(地上から飢餓と貧困をなくす/地球上で一番たくさんのありがとうを集める)を語って拡大路線を突き進み外食産業の成功者となったものの、やがて収奪的な労働環境が明るみに出て社会的な批判を浴びる」という経緯を辿っている。

政治献金

大企業としてはごく当然とも言えるが、政治献金を通じて政界とのパイプを構築している。自民党政治資金団体である国民政治協会にゼンショーとして2010年には100万円、2011年・2012年には各150万円を寄付した。

また経営幹部を介して自民党の村井英樹衆議院議員(埼玉1区選出、当選1回)に積極的な政治献金を行っており、2012年3月に村井が支部長を務める自民党埼玉1区支部に小川社長と夫人の名義で計300万円を寄付したほか、総選挙直前の同年11月には村井の後援会に社長夫妻とゼンショー常務取締役、ゼンショーの100%子会社「はま寿司」社長の4人で計500万円を献金している。

なお村井は2014年8月現在、労働問題などを取り扱う衆議院厚生労働委員会で委員を務めている。

関連項目

外部リンク


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Last-modified: 2019-10-28 (月) 23:11:17